高級車を煽ってる車って嫉妬でやってるんでしょ?って話
高速道路を走っていると時折見かけるのが、いわゆる「高級車」に分類される外国車に対して、車間距離をぐんぐん詰めて走る国産車の絵。
それはカローラだったり、プリウスだったり、CR-Zだったり、ステップワゴンだったり、ベルファイアだったりワゴンRだったり様々なんだけど
毎度思うのは
そんなに羨ましいなら自分も外国車買えばいいじゃん
って事。
自分はあの行動は
自分が買えない車を追いかけまわすことで『そんな高級車じゃなくったって、俺の車のほうが早い!だから俺の方がすごい!』って事を一生懸命自分に言い聞かせるための行為
だと思っている。
かく言う私も外国車に乗っているが、型落ち車種で、国産中古軽自動車にすら相場価格で劣るようなポンコツ車。
それでも執拗に追いかけまわされることは時折ある。
どの車だって排気量と馬力ってやつがあって、私の車はその中でも決してパワーのある方ではない。
型落ちのクラウン、セルシオ、シーマあたりに煽られたところで「どうぞどうぞ、そっちの方が排気量もパワーもあるんだから先に行ってください」ってな話なのだが、左車線に寄ってもエンブレムだけで判断されて追い回されたりする。
そう、煽っている本人もわかっているのだ。
自分の車が型落ちの車で、決して高くない価格で購入していることを。
だから一見高級そうに見える外国車のエンブレムを見ると煽らずにはいられない。
『俺の車は外国車を煽って勝ったんだ!だから俺の車はすごいんだ!つまり俺はすごいんだ!』
という証明が欲しいのだと勝手に思っている。
実際乗ってみてわかるのだが、『外国車』と言ってもそんなに見上げるようなものでもない。
私のような一般ピープルでも中古なら余裕で購入できるし、少し稼ぎのいい人なら購入できる。
車種によっては国産車のほうが余程高い場合も多い。中古相場の値崩れも激しく、ある程度新しくてもガックリと値段が落ちていたりもする。ついでにリースなんて便利なもんもあるので、車種にもよるが決して手の届かない存在ではないのだ。
例えばメルセデスベンツで言えばAクラスが¥2,980,000~ 、Eクラスが¥6,750,000~、CLSが ¥7,800,000~ 、Gが ¥10,800,000~ と、同じメーカー内でも数百万の価格差がある。排気量だって1500CCから3000ccオーバーまでいくらでも幅がある。一概に『外国車』=『高級車』で括ってしまうのはいささか横暴なのである。
だから、あまり外国車同士での煽りあいを見かける頻度はそれほど多くない。自分たちがどんな車種に乗っているか理解しているからだろう。
見かけるのは、煽りあいというよりも『首都高バトル』的な競い合いの方が多い気がする。それこそ私には到底手の届く事のない価格帯の車同士の競い合いだ。
とりあえず、そんな光景を見ながら思うのは
人の車種なんかどうでもいいから皆安全運転しようぜ
って事が一番かな。
煽られて気になる、煽りたくなるってのは自分の中で何かに「負けた」気がするから、それを払拭するためにやってる行為なので、そんな時はぜひ一度落ち着いて自分を見つめなおしてみ迷う。
そして安全運転しようね。
コンビニでの立ち読みへの違和感
普段は全く気にしないんですが、ふと昼食を買いにコンビニに行き、雑誌の棚に目をやったときに何とも言えない違和感を感じました。
なんか気持ち悪い
学生と思われる若い人から、スーツを着たサラリーマン風の男性、おじさんまで、ずらっと並んで、首をがっくりとうなだれ、同じ姿勢で雑誌を読みふけっている。
人によっては本をぐりーんと反り返らせるようにして読む人いますよね。あのホラ、本を貸して、返ってくると本を閉じてもビローンと使い古した歯ブラシみたいに広がっちゃう感じになるアレ。あれだ。マクドナルドのロゴマークみたいに本広げて読む人。「まだお前の本じゃないじゃん…。」とか思ってしまいます。田舎に行くと床に座って読んでる人もいますよね。
そんな本棚の前、冷静に見てみると、すごく異様な光景です。
私は立ち読みができない
まず、私は昔からコンビニでの立ち読みってやつができません。
買いもしないものを一心不乱に読みふけるという事が出来なくて、ペラペラとめくっても内容が全く頭に入ってこない。これが立ち読みができない原因の一つなんですが…
もう一つは、コンビニでアルバイトをしていたからかな。
昔々、まだ学生の頃、深夜のコンビニでアルバイトをしていたことがあり、その時の自分を思い返してみると、立ち読みなんて到底できないんです。
お世辞にも模範的な店員ではありませんでした。というよりコンビニ店員としてはかなり下のの部類に入るかな…。お店の商品や現金に手を付けるようなマネは一切しませんでしたけどね。態度の面では最低だったと思います。
その一つが「事務所でカメラを見ながら立ち読み客にあだ名をつけてボロクソに言う」なんて最低なことをしていた事。
カメラ映像を見ながら、一緒に入ったアルバイトの人と
「また○○来たよ」
とか
「いいよ、気使ってジュース1本もってレジ来んなよ帰れよ。っていうかそもそもに立ち読みしに来んなよ」
とか
「○○はいつも来るけど相当な暇人だなぁ~」
とか
「なにしに来たんだよコイツは」
とか
「この角度からみるとスゲー剥げてんなこいつ(ゲラゲラ」
とか
「マジコイツ○○に似てる(ゲラゲラ」
みたいなね。
酷いですね。
だから、自分が同じようにカメラ越しに言われてると感じると恐ろしくて立ち読みなんてできません。ただの買い物のために深夜のコンビニに入る事すら若干の勇気がいります。
店員さんの「(仕事増やすんじゃねぇよ)」という心の声が勝手に聞こえてきます。
そんなに漫画読みたいの?
でもまぁそもそもの疑問として「そんなに漫画読みたいの?」って話。わざわざコンビニまでやってきて本を読みたいのか?っていう所からの疑問。
昔はジャンプを毎週買って読んでいたんですが、ワンピースの連載が始まって間もない頃でしょうか。ぱたりと購入するのも、読むのもやめてしまいました。スラムダンクのコミックスだけは大事にとってありますが…。
そうなってしまうとわざわざコンビニで立ち読みまでして漫画を読むという行動の意味が理解できなくなってしまいます。「漫画ってそんなに大事すか?」みたいなね。
勤務先の年上の社員でも、昼休みにせっせとコンビニに行って立ち読みしてる人がいますが、コンビニのガラス越しにその人の姿が見えるとなんかガッカリします。
なんかね、いい年してコンビニの棚の前でニヤニヤしながら本読んでんの。すごく痛々しく見えるんです。
私としては
立ち読み『まで』して読みたいんだったら買って帰ったらいいじゃん
って思うんですけど、普通の感覚は逆ですよね、きっと。
「わざわざ買うほど読みたいわけじゃないから立ち読みする」
って感じですよね。
私には立ち読みのハードルが高すぎます。本当に欲しい本を吟味するための立ち読みというか、購入前の内容の確認はしますが、立ち読みはできません。そんな事するなら買って帰って落ち着いて読みたいんです。
きっと、品行方正な人の書き方なら「立ち読みで支払わなくてよくなった本の代金の代わりに、モラルを失っている」的なカッコイイことを言うんでしょうけど、私はアレですね
立ち読みでメンタル削られるくらいなら買って帰ったほうがいい
って感じです。そう、チキンなんです。
だからこそ感じる違和感
そんな背景があるもんで、立ち読みをしない立場から見ていると、個人的にエラくみっともない行動に見えてしまうんです。
どうにもこうにも違和感を感じるんですね。
まぁ、私がとやかく言う事じゃないんですけど。
コンビニは立ち読みされても損はしない(らしい)
アルバイトをしていた当時、一緒にオーナーが夜勤に入ったときに聞いたことがあります。
「あれ(立ち読み)ってぶっちゃけどうなんすか?本とか立ち読みでベロンベロンになったりしますよね?」
と。
そこで返ってきた答え。
「うん、いいの。ほっとけばいいの♪」
との事でした。
オーナーの言っていた事をまとめると下記の通り。
・本は汚れたりしたら返品すりゃOK
・本棚の場所貸ししてるだけで、コンビニ側が発注して仕入れてるわけじゃない
・返品の際に何か負担が発生したり、手数料などが取られることは無い
・むしろ立ち読みにでも寄ってもらってなんか買ってもらったほうがいい
との事でした。
なるほどなと納得したんですが、つまりの所
「立ち読みはやめなさい」なんてことは、コンビニに限っては言えないかな
って事。
その先の本屋さんとか、立ち読みでボロボロになった本とか、店外に向けてディスプレイされて表紙が色併せた本とか、返品された本を受け付けることによって、損を被るところはあるんでしょうけど、コンビニだけに焦点を当てれば、立ち読みしてても問題は無いようです。
なので私のこの考えは、誰にも強制できないただの個人的な不満にすぎないという事になりますね。
ラーメン屋さんは割り箸を大事にしてほしい
今回は表題の通り「ラーメン屋さんは割り箸を大事にしてほしい」という内容です。
決して、「割り箸を後生大事に洗いながら使いまわしてほしい」という事ではありません。
良い割りばしを使ってほしい!
という話です。
常連とは言わないまでも、月2回ほど通っているラーメン屋さん。「インスパイア系」等と言われる系統のラーメン屋さんですが、私が近所で何件か回った中では一番そこのラーメンがおいしく感じています。で、このラーメン屋さん、最近あきらかに割り箸の質が落ちました。数回前からなんとなく感じていた事なのですが、この度ラーメンを注文し、さていざ食べようというタイミングで
この通り。
非常にチキンな私は、この割り箸を破棄し、新たな割りばしに手を伸ばす事ができません。なんか無駄遣いしているようで申し訳なくて…。
で
我慢しながら長さの違う割り箸を使ってワシワシともやしを食べ始めたんですね。
そして
我慢できず割り箸を交換しました
余りにも食べづらいので…。
新しい割り箸を手に取り、慎重に、左右均等に力を加えながら
そりゃぁ!
・・・
うーん、うまくいかない。
結局この割り箸で完食しました。
味で勝負しているお店こそ良いサービスを!
割り箸だけに限ったことではないんですが、「ウチはサービスじゃねぇ味で勝負してんだ!」みたいなお店ほどサービス面には気を使ってほしいと思っています。
だってラーメンに集中できねぇんだもん
今回で言えば、もやしを食べている間、私はラーメンに集中できていませんでした。「この箸はどう持ったらうまく食べれるんだろう」みたいな試行錯誤に夢中で、まったくラーメンに集中できていない。
だから是非!ラーメン屋さん!割り箸は、真ん中でパチンと割れるいい奴を使ってください!
テレビでプロゴルファーを見ると微妙な気分になる
本日のエントリーの内容は、私個人の体験によってもたらされている偏見なのは、重々承知している事を前置きとして書いておきます。
でも、私はプロゴルファーを見ると微妙な気分になります。
繰り返しますが私個人の偏見です。
そして、この偏見に当てはまらないプロゴルファーの方も沢山いる事も理解しています。
それでも思う事。
それは
プロゴルファーは一般人を見下している
って事。
これには理由があります。
数年前の飲み屋にて
さかのぼる事数年前。1杯500円未満でお酒が飲める、薄利多売を前提としたお店で一人でお酒を飲んでいた時の事。
カウンターで飲む私の後ろの席に、学生と思われる若い二人が席につきました。しばらくの間、たわいもない会話をしており、話の中でどうやらゴルフをしている事、いずれはプロゴルファーを目指す二人であることがわかりました。
しばらく一人で酒を飲みながら色々考え事をしいた中、強烈に現実に引き戻される会話が始まりました。
学生A「あのさ、俺らもいつまでもこんなとこ来てられないよ?」
学生B「こんなとこって・・・?」
学生A「こーゆー安い酒を出す、リーマンが来るような店だよ」
学生B「それは言い過ぎでしょ…(笑)」
学生A「だってさ、普通のリーマンが稼ぐ給料なんてせいぜい400万とか500万でしょ?」
学生B「500万っていったら結構多いじゃないの?サラリーマンって言ったって世の中大半の人がそうじゃん。」
学生A「500万程度で満足してられないだろ。俺らがプロになったらその何倍も稼ぐようになるんだぞ?」
学生B「それはそうなのかもしれないけどさぁ…でも他のお客さんもいるしさ…」
この、金持ちのボンボン感丸出しの学生Aと、周りに気を使っている学生Bとのこの会話の部分だけ強烈に覚えています。
私の住む町は、プロゴルファーを多数輩出している私立大学があります。っていうか、学生でプロゴルファー目指すとなるとそこの私大しか思い当たらない。
「プロゴルファー目指して私大にくるようなやつはこんなヤツなんだなぁ」
とか
「こいつ(学生A)は金に苦労したことねぇんだろな」
とか
「両親も金持ちなんだろうな」
という思いとともに
「どうかロクに勝てもせず、ツアー費用の捻出で四苦八苦しながら、世の中の厳しさを味わってくれますように。」
という黒い感情が沸いたのは言うまでもありません。
ちなみに、粘着質の私は、試しにその年代の卒業生を調べてみることにしました。プロゴルファーになった人はいるようですね。その学生Aかどうかはわかりませんけどね。顔は覚えていないので。
・・・・
わかってます。ただの嫉妬です。
そもそもに、プロを目指すって事は、体格、才能、環境に恵まれていただけではなく、それまでプロを目指すだけの努力をしてきており、みんなが遊びに行っている間もひたすら練習する等、いろんなことを我慢して、ここまで辿りついているのだろうから、大きなことを言うだけのことはやってきているはず。ダラダラと生きてきた私のような人種とは違う青春を過ごしてきているのだから、嫉妬するのはお門違いともいえます。
でも
やっぱり気分悪い。
それ以前に、飲み屋で人の会話に聞き耳を立てていること、ましてや、それに対して勝手に腹を立てている事自体がずれているし、その会話に割って入って「年収400万,500万の何がいけない!」って言えない自身のチキンっぷりと、彼らを黙らせる程度の年収もない自分に対して情けない気持ちになるよね。
だから、やっぱり今でもテレビでプロゴルファーを見ると微妙な気分になります。
今日はそんな私のチキンっぷりに関するお話でした。
「ろくもんす」という遊びを知っているだろうか
多分この遊びはローカルもローカル、多分同じ小学校じゃないとわからない遊びだと自覚しているが、同様の遊びが全国に会ったりしないか知りたかったので、今回はこの「ろくもんす」について。
この「ろくもんす」という遊び、簡単に言うと「三角ベース」的な遊びなのだが、ルールは下記の通り。
・参加人数は無制限
※攻守それぞれ3人いればプレイ可能
・ベースの数は、ホーム、ファースト、セカンドの3つ
・打者のいずれかがホーム、ファースト、セカンドを6周すれば攻撃側の勝ち
※3周ルールの場合は「さんもんす」になる
・1つのベースの中に複数人の走者がいてもよい
・ボールはカラーボール
・打者はカラーボールを手で打つ
・ベース間の距離は数メートル程度
・打者が全員アウトになったら攻守交替
・フライをキャッチされたら攻守交替
・アウトにしたい場合は走者が塁の間を走っている間にボールをタッチするかもしくは投げつけて当てる
・走者はアウトにならないようにするためにどこまで逃げてもよい
※数十メートル逃げてもよい。守備側は深追いすると他の走者が走ってしまうため注意が必要
・盗塁はいつでも可というか常に次の塁を狙う ※例外あり
・ボールが視界から消えている間は走者は動いてはならない ※これが例外
・場合により代打可
※女子が混ざった場合は男子が代打する事がある
・代打はあくまで代打であり、走者は本人となる
※男子に代打してもらった後は女子が自力で走る
・フォアボールは存在しない
・三振は…はどうだったかなぁ。あったりなかったり場合により変更される
こんなルールである。
少人数で遊ぶことに特化した遊び
この「ろくもんす」という遊びは、少人数からある程度の人数まで人数制限がない事と、誰でもプレイ可能であることから、私が小学校の時非常に流行った。
とりあえず、打って、そしてグルグルとベース間を回ればいいのである。長打の必要はなく、守備側が投げたボールに当たらなければよい。
ベース間は狭いので、広大なスペースがなくともプレイが可能である。
そして少人数の場合、長打が発生したり、アウトを取るためにボールを投げてそらしてしまう場合がある。これを救済するルールがある。
それが
「ボールが視界から消えている間は走者は動いてはならない」
というルール。
ボールがコロコロと転がって行って、草むら、用水路等に入ってしまった場合、ボールを見つけるまでに走者が6周するのを防ぐための救済ルールである。
ボールが見えない間は走者はその場で止まっていなくてはいけない。
これを逆手に取り、ボールを見つけてもそのまま服の中に隠し、拾ったかどうかかわからない状態でプレイ領域まで持込み、突然ボールを出してアウトを狙うというのも可である。
もちろん「あいつニヤついてる!玉もってるぞ!」みたいな話になるので、必ずしも有効ではない。
走者が全員出塁してもゲームは続く
特に少人数の場合に発生しやすいのが
「全員打者が出塁し、次の打者がいない」
という状態である。こうなるとボールは守備側、走者は塁にとどまるため、膠着状態に陥る。
これを回避する方法が「キャッチボールである」。
アウトにしたい走者(達)がいる場合、その塁及び次の塁間で、守備側がキャッチボールを行う。
キャッチボールの回数は大体6回である。
このキャッチボールが6回成功すると走者が塁上にいたとしても、ボールをぶつける、もしくはボールタッチでアウトにすることができる。
そのため走者はキャッチボールの成功を阻止するか、もしくはキャッチボールが6回成功するまでに走り、遠くへ逃げる必要がある。
もちろんキャッチボールの阻止は、直接的なものではなく、顔の前に帽子をギリギリまでちらつかせるなど、常識の範疇で行われる。
走塁は前述のルールの通り、次の塁にたどり着きさえすればどこまで逃げてもよいし、塁上にいなくともゲームは進行するため、任意のタイミングで逃げる事が可能である。
このルールだと「全員で遠くに逃げて隠れてなかなか出てこない」的な、缶蹴りに近い状態が発生しそうだが、これは「クソサムイ奴」という全体からのブーイングがでるため回避される。
誰か知ってる人いないかなぁ
という事で、今回ご紹介した「ろくもんす」、知ってる人いないですかね。
ド田舎の小学校(全校生徒120人程度)だったもので、本当にローカルな遊びなんだと思いますが…
っていうか
「もんす」って何なんだ?
システム開発者の記事に対する違和感は何なんだろう
どうにもうまくモヤモヤの謎を解決できない事案がありまして、文章にすれば何か解決するかなぁと思ったんで今回はこの「システム開発者の投稿に対して反応する人たちへの違和感」についてまとめてみたいと思います。
まず、システム開発者の投稿とは何か
私が言う「システム開発者の投稿」ってのはつまり
○○のライブラリの有効性
とか
開発環境に○○を導入して効率化
とか
開発環境として○○をどうのこうの
とか
そういった投稿。わかりますかね?
何に対して違和感を感じるのか
これが私自身よくわからないんですが、こういった記事に対し、賛同したり、ほめたたえたりとかそういった反応をする人達含め何かよくわからないモヤモヤを感じるんですよね。
多分「よくわからない」から違和感を感じるんだろう
正直なところ、大体の記事のいってることは「作業の効率化」とか、そういった話に収束していたりしますが、色々わからない。
1.結局何を作って納品したのかわからない
2.導入するための時間を含めたコストがわからない
3.それを末端の開発者まで教え込むためにかけたコストがわからない
4.そいつを導入したとして、あと何年使えるのかわからない
5.そもそもにそのライブラリやら開発環境について私自身がわかっていない
まず、ネックになってるのは5番目だとは思うんですよ。
私にもっと知識があれば、一緒に混ざってあーだこーだ言えるんだと思うんですけど、知識がないせいかわかりませんが、なんか引いてみてしまいます。「何が楽しくて盛り上がってるんだろう」みたいなね。
多分、派手なイベント事が嫌いな人がBBQとかハロウィンとかクリスマスとかを一歩引いた目で見ているときの気分に近いんだと思います。
私、開発者向きではないんでしょうね…。
だって
なんでもいいから、あとは便利に使えるようになったら教えてよ
くらいにしか思えないんで、システムについて、やいのやいの盛り上がろうって気にならないんですね。
どうやって作ったかなんてのは客には関係ない
次に感じる違和感の原因がこれ。開発者同士でわちゃわちゃやってても、現金につながらなきゃ意味がない。
スーパーにおいてある鶏肉の鳥が、システマチックに管理されて効率的な環境で育てられた鳥の肉なのか、昔ながらの方法でせっせと育てられた鳥肉なのか、同じ価格で同じ品質ならだれも気にしない。
って感じの話なんです。
凄く悪意のある言い方をすれば
金勘定をしなくてもいい開発者のたわごと
みたいに見えてしまうんです。
今すげぇ沢山の敵を作った気がしますが…
そのライブラリなり、効率化させた環境で、導入のための時間的コストを含め、どれくらいの現金を生み出したのかがわからないので、素直に興味を持つことができないんですね。
そんなことは度外視して、開発者が開発者として時間をたっぷり使って検証したりブラッシュアップできるような、体力のある恵まれた会社ならいいんでしょうけど。
あとはその環境を使ってどれくらいの規模の開発を行うのか、どれくらい工数を短縮できるのか、導入にはどれくらいの時間がかかったのか、導入した後その環境をどのくらいの期間使うのか。どうせ数年でまた便利な何かに乗り換えるんでしょ?的なね。
あ、わかった
いろんな記事をそれぞれ、個別に見てるからダメなのかな。
なんか、SNSでいろんな開発者のブログを取り上げて、コメントなりイイネなりをしてってのが、タイムラインに流れてくるんで、誰しもが新しいものがあれば飛びつき、導入し、やいのやいのやって、新しいものがあれば飛びつきってのをやってるように見えてしまっているのが悪いのかな。
普通に考えれば、開発環境もライブラリも、一度導入したらブラッシュアップしていくのが普通だよね…。
「今回はAライブラリとB開発環境でやるよ!この案件はCライブラリとD開発環境でやるよ!」とかやってたらどんどん煩雑になって金かかるだけだもんね。
俗世間一般的に、一人社員を雇うには、保険やなんやかんやで払っている給料の倍額以上は会社が負担しているといわれています。
ってことはだ
月給25万の開発者だったら50万は必要。
で、営業日が月20日で、1日の労働時間が8時間。新しい環境への習熟に1日かかるとする。
すると一人当たり (250000×2) ÷ 20 で一人あたり25000円のコストがかかる。
これが開発者10人だったら25万円ね。
これはお見積りの中に入っていますか?会社負担ですか?
とか
そういったところに考えが回ってしまうんですね。
要は金。
なんというか、コンマいくつの細かい数字は気にする開発者が、もっと大きな部分の数字を度外視していることのへの違和感というか、結果として「おもしろかった」とか「便利だった」とか「ここをこうしたらいいのに」とかそういった漠然としたところに収束している事というか、それについて楽し気に盛り上がっているところというか
やっぱりなんか知らんけどモヤモヤするんよ
だれかわからないかなぁ。直接的な結果が見えてこないからなのかな。それとも私自身に知識が圧倒的に足りないからなのかな。
やっぱりわからねぇや。
知識のない自分から、他の開発者たちのハイレベルな会話に対する嫉妬心と焦燥感の産物…なのかな?
でもまぁそもそもに
まぁまずはQiitaとGitHubを使ってみてからだな。
ナメんな!!そこからかよ!!!
と思った同業の方は沢山いるでしょう。
多分、開発者としては相当ヤバいんだと思います。
でも、社立ち上げ当初から在籍してますが、売り上げが落ちた年は一度も無く実際に売上は上がり続けてるし、現状開発できてるし、給料は上がり続けてるし…。
MVCで開発はやってますけどね。さすがにhtmlとphpが混在しててコーダーがHTMLいじってる間はいじれないとかは無いっすけど、やっぱりあれこれシステムの事をやいのやいの議論するより
自分が作ったシステムが会社に幾らの利益を生み出しているかを考えたほうが楽しい。
こっちの理由の方なのかな。
だってシステムの話つまんねぇんだもん。掘り下げていくほど詰まんなくなるんだよなぁ。なんでだろうね(笑)
AWSが日本でまだあまり運用されてなくて、コンソールも全部英語でわけわかんなかった時は面白かったけど、今はインターフェース日本語だし、導入も当たり前になっちゃって詰まんないよね。そんな感じ。
別に頑張ってくれる人がいるなら俺が頑張んなくてもいいや的な(笑)
・・・・
あーなるほど
わかったよ。ここまでとりとめのない文章をダラダラ書いてわかった。
私が開発者としてゴミカスだから共感できないだけだ(笑)
スッキリしましたが、別のモヤモヤが沸きました。「開発者としてどうなのよ」ってやつね。でもそれについてはまぁ何とかなるでしょう。しぶとく生き抜いてみせます。
営業に責任を押し付けてるプログラマーは注意が必要かな
megamouthさんのエントリ
にて、ちょっと思う所があったのでまとめ。
megamouthさんのいう事は概ね理解できるし納得できます。だからmegamouthさんの考えを否定したいってわけでもありません。
ただ言いたいのは
エントリーを読んで、責任を営業に全部ぶん投げて『そうだそうだ!』なんて言ってるプログラマーは危機感を覚えたほうがいいんじゃない?
って話。
あと、先に言っておくと
俺も一応プログラマーね。立場的にはそっち側だからね。
でも、プログラマーと言っていいか非常に微妙な立場ではあります。インフラ周りいじるし、お客さん所にもいくし、見積書も書くし、交渉もするし、設計もするし、サーバー構築もするし、DB周りもやるし、コードも書くし、指示も出す。
プログラミング専門?と言われれば、完全にNOであります。会社の規模が小さいからってのもあるかと思いますが、微妙に立場は違うのかも…。
まぁそもそもに、技術的な話は嫌いだし、飲み会は固まってブツブツ話しているよりも女の子とパーリナイしてる方が楽しいし、多分エントリー内に出てくるようなプログラマーからは嫌われるタイプのプログラマーですね私。
気持ちはわかる
そんな私ですが、エントリーの内容はわかります。特に積み木のくだりね。よくある話。表側のちょろっとした修正に見えて、根幹部分から組直さないといけないような仕様変更だったりすることはよくあります。
これをぶっこまれた時のイラっと感は半端ない。
よくわかる。
『ナメんなそんな簡単な話じゃねぇんだよ』
みたいなことはよくあります。
でも大人じゃん?
大人じゃん?っていうのは、『大人なんだからウダウダ言わずがんばれ』
という事ではなく
『大人なんだからちゃんと意思表示しろ』
って事です。
無言の深いため息とかそういったことではありません。ちゃんと言葉にして正確に伝える事。自分が逆の立場で溜息なんかつかれたら、ぶん殴ってやろうかと思いますよね。「ちゃんと言えよ」と。
エントリーの中にあるプログラマーに対する対応方法を要約すると
『プログラマーは言葉足らずなんだ、だからうまく汲み取って察してね』
という風にも取れます。
これは
プログラマはずっとあなたの指示に従っていたというのに、突然、そんな指示はしていなかった。最初からこれに対応できるように指示を解釈する必要があったのだ、と言われているようなものだからだ。
この部分と同じくらい横暴です。どちらも無理です。
なぜ、営業サイドと密な関係になっておかないのか。仕事をする上での最低限の仕事です。
それができないのは、誰のせいでもない自分の責任。
学生の頃、休み時間に机に突っ伏して10分経過するのを日々待っていた時間(偏見ですゴメンナサイ)、他の人たちは、不特定多数のクラスメイトの中で「人との付き合い方というものを勉強」していたわけです。
それを拒否して机に突っ伏していたならば、それはコミュニケーションについての勉強を放棄してきたツケを今払っているに過ぎない。
「うまく言えないから察して!もしくは懇切丁寧に優しく聞き出して!」なんてのはお母さんにでもお願いしてください。
自立した一人の大人として、自分の意見を言わなければそれは同意と同じ。溜息なんて何の効果も生みだしません。まぁせいぜい人の感情を逆なでするくらいでしょうね。
私は言ったことあります。
『そのため息は俺の感情を逆なでして、関係を悪化させる以外になんか意味あんの?言いたいことがあるならちゃんと言えよ。言わないなら黙ってやれよ。』
と。
立場上言えないのと、言えることを言わないのは別
もちろん、全ての人が同じように言いたいことを言えるかと言われればそうでもありません。
それはわかります。
私も部下相手の場合は、何か言いたそうな雰囲気を察すれば「気になる事があればおしえて?」と聞きます。
それは立場として「これを自分が言ってもいいものか」という判断に困っていると思った時。そこは汲み取ってあげる必要がある。
それとは別。言える事なのに言わず、あたかも
「僕は不満です!すごく不満がいっぱいあります!はいはいやればいいんでしょ!?」
みたいなのね。
いい歳こいた大人が拗ねてみせるとかバカなんじゃねぇの?
と思うわけです。
だから会社の飲み会があるならとりあえず行っとけ
こーゆーことがあるからこそ私は社内の飲み会があれば行っておくべきだと思うんです。
ここで過剰に「アルハラだ!」とか反応しないでくださいね。
ちゃんと理由があるんですよ。
「プライベートが大事なので」
と断る一言で、そのプライベートを気持ちよく過ごすための、金銭を得る手段である仕事を円滑にできるかもしれない可能性を切り捨てているかもしれないから。
会社の飲み会ってのはそもそもにコミュニケーションをとるのに便利なタイミングなんですよ。
人間関係としては「仕事上での関係」という状態を保ちつつ、それでいて仕事中ではないから仕事以外の話もできる。酒が入っていればより相手の素の部分に近づきやすい。「仕事上の関係である」という大前提であるから相手も言葉を選ぶ、それでいて本音に近いところもさらけ出してくれる可能性も高い。
こんな便利な場はありません。
そして私は、飲み会の時には酒が進んできたタイミングで苦手な人のところに自ら行って、話をします。
やはり最初は緊張もしますし楽しくもありません。でもそんな中で、その人がどういう性格なのか、どういった話題に反応するのかを感じ、そして酒に任せて軽く愚痴をこぼす。そういった無駄とも思える事の繰り返しで、人間関係を構築していきます。
時には煮ても焼いても食えない人はいますけどね。
営業ってのは稼働中のサーバーみたいなもん
営業でお客さんの前に対峙するという事は、稼働しているサーバーみたいなもんで刻一刻と状況が変化します。
滞りなくいっているときは、お客さんに対峙する前に「さて、今日はどうしたものか」と思考を巡らせます。
システム設計の時と同じよう「こうなったらこうしよう」というように、色々なケースをどっしりとゆっくり考えます。
ただ、そうもいかない状況があります。
トラブルです。
とっさの判断が要求されます。サーバーだって同じでしょう?トラブったら対応と原因追及、緊急性を要するならば、それまで設定した様々な項目すら無視してでも緊急対応をしないといけない場合もあります。
営業も同じようなもんで、状況が変化する中で、とっさの判断を強いられるケースもあります。相手の声の抑揚、目線、眉の動き、これまでのやり取りの経緯、その人の性格といった数値では見えない部分をもって判断しなくてはいけません。
そこで、正しい判断に導くための情報をあらかじめ与えられているかどうかで判断内容は変わります。
だから密にコミュニケーションをとり、情報は共有しておくべきなんです。
プログラマー自身が後で割を食わないためにです。
非常時でなくとも、最初の一歩目のコミュニケーションで「やらない理由」「やりたくない理由」「できない理由」だけを述べて、「やるためにはどうしたらいいか」のコミュニケーションを拒否していたとすれば、営業サイドは「どうせ文句しか言われないから強引に押し通すしかない」という選択をしてしまいかねません。「一度持ち帰れば建設的な話ができる」状態にしておくことも大事です。
営業もプログラマーも相互に尊敬しあう関係であるべき
営業はプログラマの事を
「自分では何も売れないくせに、俺が死に物狂いで交渉して獲ってきた仕事を偉そうにウンチクばかり述べてやろうとしない奴」
プログラマは営業の事を
「システムの事何もわかってないくせに知ったかぶりして、お客の前でいい顔して仕事ばかり増やす無能な奴」
と思っている節があります。
そして、営業の言い分はこう。
「プログラマがいなくても、売るものさえあれば俺らの仕事は成り立つ。それは別にシステムじゃなくてもいい。」
プログラマの言い分はこう
「俺らが無茶を実現してるから、無能なお前でも利益を上げられてるに過ぎない」
まぁこんな感じでしょう。
こんなんうまくいくはずないですよね。
もっとお互いの仕事を理解し、尊重し、尊敬しあおうぜ。だってさ、お互いにできないことをそれぞれがやってるわけだし。
営業にシステムを組めって言ったって無理です。プログラマに仕事取ってこいって言ったって無理です。自分ができないことをお互いに依存しながらやってるんだからもっと密に関係を深めようよ…。
かくいう私の所も昔はそうだったんです。
営業は「あいつらにやらせりゃいい」ってスタンスでしたし、プログラマは「また無茶な話持ってきたよ…」みたいな感じでした。
今はほぼ必ず、「どうするのが一番すんなりいくか」と「作業ボリューム」を電話で一本確認してくれるようになりました。
まぁそのためにはまず、「電話で一本確認すれば、今話している方法よりもいい方法を教えてもらえるかもしれない」という関係があるからこそなんですけどね。
だから、プログラマーは言われたものをそのまま作るんじゃなく、
「こうしたらどうだろうか」
とか
「これを足せばもっと便利になるけど期間はかかるから、その追加分と併せて納期の交渉をしてほしい」
とか
「こっちを優先させるから、別のこちらはすぐには使わないんだから、五月雨式に後納品にさせてほしい」
とか、社内での交渉を粘り強く繰り返し行うべきなんです。
本来、システムをより少ない工数で、より使いやすく拡張するにはどうしたらよいか一番知っているのはプログラマのはずなんです。
交渉の材料になるネタは手元のコードの中に沢山眠っているはずなんです。
「この仕組みをちょっといじれば新機能として売れるな」なんて気づくのに一番近いところにいるのもプログラマなんです。そういったプログラマからの提案の繰り返しが「一度アイツに聞いたほうがいいかな」という営業の思考につながるんです。営業すらコントロールできる可能性を秘めているんです。
「プログラマーはマーケティングの事なんか考えずに、言われた処理を仕様書通りに動くよう作っときゃいいんだ」なんて環境なら別ですけどね…。
でもさ、多分本当に簡単なやり取りで大体の不満は解決すると思うんだ
仕事上、多少の無理難題が発生する事はあります。営業の能力がどんなに向上したって、刻一刻と変化する状況下で正常な判断を下せず、しわ寄せが回ってくることだってあるでしょう。
でもね
プ「○○さん、あの件マジでやばいんすけど(笑)」
営「え?そうなの?簡単じゃないの?この程度でしょ?」
プ「いやいやいや、軽く見過ぎ!全然違いますよ!結構やり直し部分多くてしんどいんすから。帰れないっすよ…」
営「えぇ~!マジか…。うわぁごめん、代替案ある?」
プ「うーん、これこれこうすればお客さんの要求も満たせますし、改修のボリュームも少なく済むとおもいますけど…」
営「なるほどなぁ。その方法でもいけるな。頼める?」
プ「わかりました。ホント頼みますよぉ?(笑)」
営「うん、悪いね頼むよ、でもさぁ営業も大変なんだぜ?」
プ「そんなんしらないっすよ(笑)そこは○○さんがうまくやるところでしょ?」
営「わかってる!わかってるからこうやって頼んでんじゃん(笑)」
プ「しゃぁないっすね。今度何かおごってくださいよ?」
営「りょ!」
プ「うわぁナメてんなー。やりませんよ?」
営「わかったわかった!ごめんて!頼むよ!」
二人「(ゲラゲラ)」
こんなやり取りができたら…
いや、そもそもに「ごめんね」と「悪いね頼むよ」。この一言が相手から出てくるだけで全然違うでしょう。
あとは自分の代替案が通っただけでも相当気持ちは軽くなるでしょう。
っていうかほとんど私と社長との会話に近いですね(笑)
実際に突然の改修と残業が舞い込んでくることはありますが、「まぁしゃぁないか(笑)」という気分でやる事が多いです。
そんなやり取りができるようになるには、やっぱり人間関係の構築であり、コミュニケーションなんです。この関係だって一朝一夕でできたものではありません。
プログラマーが人間である以前に営業も人間です。
上記の通り、お客さんの前にでて話している間、何も考えず仕様変更を受け入ているわけではありません(と信じたい)。
必ずそのタイミングで、誰がどんな仕事をしなくてはいけないのか、その規模がどの程度かは考える(と信じたい)。
その時の判断材料となる情報を、プログラマー自身がちゃんと営業に共有しているのか。そしてその判断の中で、どうしても負担を強いられるであろうプログラマーの顔が浮かんだとき「一度アイツにお伺いを立てたほうがいいかな。」「いやぁ、申し訳ないなぁ」と思われるのか、「まぁアイツが割を食うくらいならいいか。なんかあっても強引にやらせりゃいいし」と思われるのか。
どっちに転ぶかはやっぱり普段のコミュニケーションなんです。
相手が察してくれることを望むよりも、自分と自分の仕事を相手に理解してもらう努力をする方が、プログラマー自身が気持ちよく仕事をするための近道だと私は思います。
今後、プログラマーへの理解が深まり、世の中のプログラマーに対する雰囲気が変わったとしても、自身が何も言わず、これまでと同じプログラマーの姿のままならば、環境の変化は起こりえないでしょう。
育休から戻ってきた人を元の役職に戻すのか って話
普段あまりテレビを見ない、というか部屋にテレビがないもんで、遊びに行った家にテレビがないと見る機会がほとんどないんですが、たまたま先日テレビをみておりましたら、「育休から戻ってきた人を元の役職に戻すのか」って話の討論番組的なのを放送していました。
そのほかのお題目は「教師体罰に対して学校に抗議するか」だったんですがそれについてはまた別の機会に。
この番組を見ていて、一緒に見ていた人と意見が分かれ、番組を見て、それぞれの意見についてお互いに「なるほどなぁ」なんて話をしていました。
で、なんとなくこの番組を見ていて思う事があったので、私なりの考えを発信してみようかと思いまして、まとめてみた次第です。
条件
1.育児休暇に入った女性は営業部主任
2.代理で入った男性主任が売り上げを1.5倍に伸ばした
3.育児休暇に入った女性は主任は育児休暇後元の役職を希望
4.代理で入った男性主任は納得がいかない
さぁどうする?
みたいな内容でした。
納得した意見
先に私が一番「あぁなるほど」と思った意見が、ひろゆきさんの意見でした。
「制度上、もう仕方がない。女性は主任に戻さないといけない。これは会社として仕方ない。これをやらないと『マタハラだ』と訴えられてめんどくさいことになる。だから主任に戻す。そして新しい部署を作って、男性の代理主任をそこの主任にする」
というものでした。
これが一番納得できました。
私の考え
私の考えは上記のひろゆきさんの意見に賛同ですが
元々の考えは「戻す必要ないじゃん」という考えでした。
これは「女性だから」「男性だから」という性別の違いの話ではなく能力で見た場合です。
以下の話は「女性主任」「男性主任」という風に書くと、男・女の性別の違いに見えてしまいがちなので「元主任」と「代理主任」という風に書きますね。
皆さんも、育児休暇を取ったのが男性か女性かを考えずに読んでいただければと思います。
・代理主任が引き継ぐまでにその元主任が行った土台作りの規模
・元主任が復帰した場合に売り上げを維持できるか
・会社自体の規模
という所も考慮する必要があるかとはおもうんですが、そういったところを無視して
・元主任が復帰した場合売り上げが元に戻る可能性がある
・代理主任が継続して現役職にいた場合売り上げだか継続される見込みが高い
・元主任の在任期間は育児休暇を取得した日数分以上である
・元主任がの育児休暇前の土台作りは考慮しない
・代理主任は元々社内にいた社員が昇格して代理主任になった
・元主任の育児休暇、代理主任の昇格により社員の増員は無かった
・「元の役職に戻すってのは制度上もう仕方がない」ってのは一旦考慮しない
という前提で話をしたいと思います。
売上1.5倍の実績
まず
「売上が1.5倍になった」
ここだけに焦点を当てると間違いなく代理主任に任せるのがいいと思ったんですね。出演者の誰かが「1.5倍くらいで」みたいなことを言ってましたが
1.5倍ってすごくない?
500万だったら750万、1000万だったら1500万、1億だったら1億5000万よ?
会社が大きかろうと小さかろうと、相当な割合だと思うんだけど…。むしろ10%上昇させるのだってヒーコラ言ってる会社はいっぱいいるでしょ。
育児休暇間の数か月で売り上げを1.5倍にするって、相当な敏腕だと思います。
で
1.5倍になった売り上げが下がるってのは会社にとって痛手ですよね。
上記の「元主任の在任期間は育児休暇を取得した日数分以上である」という条件の下で見るならば
あんた育休取得開始までの期間何してたの?
って話になるじゃないですか。
これが、代理主任を残すべきと考えた理由の一つ。
正当な、実績だけで見た場合の評価です。
ほかの人にデメリットがあってはならない
番組の中で、確か橋本さんが言っていた言葉。
「育児休暇を取った人以外にデメリットがあってはならない」
という言葉。この言葉を繰り返していましたが、確かにその通りだと思いました。
私は経験はありませんが、知人の会社で育児休暇を取得する人が出た時、その人の仕事はみんなで分担して行ったそうです。それについて、報酬面での変更は無し。
そりゃ多少の不満は出ますよね。そういったことに対して不満を述べるのは間違っている感じの空気感がありますが、そもそもに会社ってのは自己実現なり、自分の利益のために働く場所である以上、不利益を被るとなれば不満はでますよね。それはマタハラとかそういったレベルの話ではなく、もっと根本的な部分に起因する話だと思います。
元主任の不要論
ここで発生してくるのが元主任の存在価値。
元主任がいなくとも、業務がまわり、そして売上が上がってすらいる。もうここで元主任の不要論にすら考えが及びかねません。
もう一回言っとくけど性別の話じゃないからね?
もう一度言っておきますが、この話は性別関係なく考えた場合の話です。
番組の映像では、元主任が女性、代理主任が男性でした。
こうなってしまうと、どうしても「働く女性に対しての話」と思考が回ってしまいます。
育児休暇という制度については私は基本的に賛成していますし、育児休暇を取ったことによる『不当な』不利益を被ることがなく、安心して育児に臨める環境であるという事は歓迎すべきことです。
でも今回の事は『不当』ではないじゃん?
順当な、客観的な評価の基での判断じゃん? 『育児休暇をとったから降格』ではなく、『元主任よりも優秀な人間がいたから追い抜かれただけ』ですよね。
まぁ「育児休暇を取りさえしなければ、代理主任にそのチャンスすらなかった。育児休暇をとらなければそのままの役職でいられた」という考え方もできますが、それはもう保身というかエゴというか、別の話なんじゃないかなぁと思います。
また話がグダってしまいましたが、育児休暇がとれて、元の職場に復帰できるだからいいじゃんね。と思うのは私だけでしょうか。
お年玉をくれた本人の目の前で開封する子供って多いの?
数年前に見た正月のテレビ番組で、「子供のお年玉事情」的なものを特集した番組がありました。
そこで見た光景に唖然した私。
その番組はこんな流れでした
1.今どきの子供たちはお年玉をもらいに親たちと親戚巡り
2.子供はお年玉をもらうと目の前で開封
3.金額を確認
4.「わぁぁ!ありがとう!」
…という流れでして、私は真っ先に思ったんですね
親はどーゆー躾してんだ!?
これっておかしいよね?私間違ってます?
私が間違ってると思ってるところはここね
金をもらいに親戚巡りする
なに?集金か何かですか?金もらいに親戚めぐるの?親からして頭どうにかなってんじゃないの?
子供に人にたかるようなことさせてんだけど大丈夫?
親自身もそうだったのかな。親子共々に「金クレ!金クレよ!!」って親戚中回ってるってね…。
あさましいにも程がある。
お年玉を、くれた人の前で開封
これもあり得ない。自分が子供の時、「人からお金をもらう」ということは、うれしい反面どこか申し訳ない気持ちがあって、ましてやその人の前で金額を確認するようなマネは子供ながらにあり得ないことだと思っていました。多分記憶にないさらに昔に躾けられたんだと思うけど。
お年玉をもらったら、中身を確認したい感情を押し殺して、ポケットにしまい、親に報告し、そして両親ともども、正座して、手をついてお礼をする。
親戚が帰った後、ひっそりと中身を確認して「わぁぁぁ!」となる。
こんな流れが当たり前だと思ってました。
正直大人になって、給与明細を渡された時でさえ、金額を確認するのは後ろめたい気持ちでできなくて、「間違いないか、必ずその場で確認してね」といわれて、「お年玉とは違うもんな。労働の対価、事務手続きの都合上間違いがあってもだめだもんな」と若干後ろめたい気持ちを持ちながら開封したもんです。
すんなり受け取る
ここはまぁ賛否両論あるんじゃないかと思います。とりあえず私は一度「いえいえいえいえ、大丈夫です大丈夫です!」と断ってました。少なくとも小学校入ったときにはそうしていました。上記のとおり「お金をもらう」ということには抵抗があったんですね。「子供なんだから素直にもらいなさい」「お母さんには内緒だよ」とか親戚の皆さんニコニコしながら言ってくれるので、「では…。ありがとうございます…」と。まぁ様式美的なところはありますが、一度断るというのは「私は決して今日お年玉をもらうためにここにいるわけではないよ」という暗喩でもあるわけです。
これはまぁどうなんでしょ、私はそう躾られました。ほかの家庭はどうなんでしょうね。
金額を確認してからお礼
これがもうね、張り倒したくなりますね。
お礼を言うのは金額に対してじゃなく、「お年玉をいただいた」という行為に対してだろうが!!
もうね、それを親がニコニコしながら見てるのもね、「何考えてんだコイツ」と思いますね。
「親の顔が見てみたい」とはよく言ったもんですが、まぁ親の顔全国に放送されてましたけどね。結構前の番組なんで顔なんか覚えてませんけど。
ということで、以上私が感じた違和感。
ちなみになんで今更数年前のことを今さら掘り返してきたのかといえば、ちょいちょいお年玉に関するトラブルのネタやらを見かけたもので、ちょろっとまとめてみた次第です。
ということで文句ダラダラの文章となってしまいましたが、本年も宜しくお願い致します。
場末のプログラマーだって飲み会はある
さて、年末も押し迫ってきましたが、ここからクリスマスから年明けに向け、飲み会の時期がやってきます。
クリスマス → 飲み会
年末 → 同窓会
大晦日 → カウントダウンパーティー
年明け → 新年会
ついでにクライアントからの呼び出しがチラホラと。
酒好きだからいいんですけどね。
お仕事の飲み会は自分への先行投資
先に言っておきますが、ここから先は、決してアルコールの強要、飲み会の強要を助長させたいがために書いたわけではないよって事だけ念頭に入れて読んでいただければと思います。
会社の飲み会は、社長に直接文句を言う絶好の機会。
私の会社は小さい会社なので、社長に直接文句も言えますし、ついでに個人的には楽しいんで、なんの不満もありません。
で、問題はクライアントさんからの呼び出しの飲み会。
会社の規模的にエンジニア、プログラマーの立場とはいえ「代表取締役」の肩書がつく方からの呼び出しがチラホラあります。
断っても別に会社的にも問題はないし、いいんですが、こればっかりは自分への先行投資として参加しています。
要は人間関係構築と、あとは酒の席でのコミュニケーション能力の向上のため、その後の仕事を円滑にすすめるためでもあります。
次回あったときに
「先日はどうもありがとうございました♪あの後どうでした?」
で始まるのか
「断った手前気まずいなぁ」
と会うのかの違いです。
もちろん、仕事とプライベートは割り切るべきですが、人間そんな簡単にできているわけではないので、やっぱり「心象」という部分は大事ですよね。
この日頃の人間関係が、何かあったときに徹底的に叩かれるのか、
「ちょっと~、も~勘弁してよ~。こっちで何とかするから次から頼むよ?」
と協力してくれるのかってのは、日ごろからの距離感の問題は大きくあります。
だから、私は飲み会には積極的に参加しています。
飲み会は断ってナンボみたいなのは注意が必要
先に言っておきますが、下記のまとめの幹事さんは論外ですよ?
参加しない方々が悪いとは全く思いません。幹事がおかしい。それくらいのバランス感覚は私だって持っております。
で、私が気になるのは、時折目にする「飲み会は断ることが正義!」みたいな話。
これにはやや違和感を覚える事が多くありまして
その理由としては
「断っているのは『飲み会』そのものではなく、『相手の厚意』の可能性がある」
という事です。先のまとめサイトのように、個人の意見を完全に無視した強制的なもの『ではない』ケースです。
大体にして、飲み会やなんかを企画したり人を呼んだりしている人からしてみれば、飲み会は『楽しいもの』というのが前提にあり、『よかれ』と思って誘っています。
『盛大な勘違い』で、苦痛に思う人が一定数いることは事実なのですが、自身としては楽しいことなので苦痛の度合いがわかりません。
なので、これを無下に断られるってのは心にくるものがあります。
私自身、プライベートでBBQや飲み会を企画したりすることもありますが、やっぱり「ごめんね、予定あっていけないんだ~」と普通に断られてもしょんぼりしてしまいます。
もちろんこれは遊びの話なんで、そのあと「あいつ飲み会断りやがった!!」なんてことにはなりません。
さすがにね、そこまで小さい人間ではありません。
少し話が逸れてしまいまいたが、『飲み会を断る』という行為、断る側、断られる側、双方に心の負担が発生します。断るのだってある程度の勇気はいります。
ただ、断った後、断ったほうは、スッキリしているかもしれませんが、断られた方には何かモヤモヤが残っている可能性があります。
そういったモヤモヤ相手に残しても問題ないのかどうかだけ考えてみてください。
飲み会断った自慢はヤンキーの武勇伝と同レベル
時折「俺、飲み会断ってやったわ!超気楽www」みたいなのね
私からするとヤンキーの過去の武勇伝と大差なく感じるんですよ。
既述の通り、飲み会の誘いが善意前提の誘いだった場合
「俺、人の厚意を無下にしてやったすげぇだろドヤァ」
という風に聞こえてしまうんですね。
飲み会を断る事は仕事に影響するのか
私が思う所では
影響します
主観ですけどね。多少の影響はあると思います。
もちろん、正当な理由、体質的な問題、アレルギーなんかの問題があって、やむなく参加できないという場合は全く別問題ですが。
それとは別「ただ、行きたくないから行かない。」という場合についてです。
こうなってくると
「なるほど。この人はこーゆー人か」
と、私の場合は思いますね。
「こーゆー人」ってのは
・人の厚意を無下にすることに何も感じない人
・仕事状のやり取りを円滑にしようとは思っていない人
・人間関係の構築を拒絶している人
こんな風に思われる可能性まで思考が回らない人
ってくらいには考えるかな。
仕事は仕事ですので、仲良しこよしをしに来てるわけではなく、金を稼ぎに来ているので割り切って考えるべきですが、それでも「人対人」の部分は多くあります。
もちろん仕事上は、能力で正当に評価しますし、これによって、評価としてマイナスを下すなんてことは絶対にしませんけどね。
そういった細かい配慮ができるかどうかって点は、この先、人の上に立つ仕事を任せてもいいのかって判断材料の一つにもなりますよね。「飲み会を断ったから」なんて1点だけで、大きく上下するわけではありませんが。
要は、配慮ができるかなんですよ。
例えば「時間の無駄なんで行きたくありません」っていう断り方ね。
まぁいいよ。でもさ、
面と向かって「お前との時間は無駄」って言ってるのと同じよ?
相当アグレッシブに喧嘩売ってるよね。
これについて、「人からどう思われようと関係ないじゃん」って意見もあるでしょう。
いや関係あるから
「こう言ったら人はどう思うだろう?」ってのはさ、常時考えないといけないでしょ人として。お父さんお母さんから「人が嫌がることはしてはいけません」って言われたでしょ?それの延長線上の話でしょ。
もちろん、しつこく誘うと、この話が「人が嫌がってるのに強引に誘ってる時点で同じ」ってんで、ブーメランのごとく思いっきり誘う側にもぶっ刺さるので、誘う側も引き際が肝心です。
バランスが大事です。
そして「こう言ったら人はどう思うだろう?」ってことに配慮できるか否かってのもやっぱり、対社外とのやり取りでの評価にもつながるわけです。
まぁ「時間の無駄」に対する理屈抜きの個人的な感情を吐露するとしたら
年何回飲み会あんのよ?プライベートは大事だけど、その飲み会断ってまで守ったプライベートの時間何に使ってんの?
って話。自分のために本を読む、勉強をするとかそういった事のために使っている。それを邪魔されたくないってならわかる。これが、いつも通りかえってダラダラテレビみてゲームしてク〇して寝るだけってんなら、私個人としては「それってそんなに価値のある事?」とは思います。
やっぱりさ、技術だけじゃないんだよ
既に書いてある通り、やっぱり技術職だって、人間関係って大事だと思います。
この業界だけではないと思いますが
「能力がある人が正当に評価されず、口が旨く調子のいい奴が上に行く」
という話を耳にすることは多分にあると思います。現にそういった状況にある人も沢山いるでしょう。
私は、これは至極真っ当な話だと思います。
だって、結局相手は心のある人間なので、評価の仕方は色々ある。感情論を全く抜きにして技術面、能力面だけで評価する人もいれば、思いっきり感情論の方にパラメータ振ってる人もいる。
しょうがないんですよ。人間だもの。いろんな人がいる。そんな中で口先だけの奴が昇進していった。それはもうしょうがない。
だって、その人の方が「昇進するための能力」が高かったんだから。
そこで負けたって事です。
技術、技能だけで評価する会社なのか、対人間関係の構築が重要視される会社なのかを見極め、柔軟に対応でき、その中でコミュニケーション能力をもって「昇進」という実績を作り上げる、という事ができるってのは、それはそれで評価されるべき能力じゃないかと思います。
まぁそんな人間に指示されるのが嫌なら、自分も「昇進するための能力」を身につけて上にいけばいいわけですし、それが無理なら技術だけを評価してくれる環境下にいけばいい。
それにね、人に対して好印象を与える能力ってのは上に行くほど必要になってきます。外部とのやり取り、自分の部下とのやりとり、いろんなところでコミュニケーション能力ってのが必要になります。
圧倒的な能力、技術力で「俺についてこい」的なことができるのはごく僅かでしょう。あとは会社の規模か。個人の感情論抜きで、会社の評価で仕事ができるってケースもありますね。
というわけで、「昇進するための能力」を養う機会、コミュニケーション能力向上の「チャンス」だとしたら、切り捨てていいものなのかどうか、考えが変わるのではないでしょうか。
「飲みにケーション」なんてクソサムイ単語を使うつもりはありません。酒が入っていようと入っていまいと関係ない。飲み会はただのコミュニケーションの一つであって、重要なことではありませんが、そういった細かい一つ一つのコミュニケーションの積み重ねが、能力として評価される場合もあるのであれば年何回かの「チャンス」を断ってしまうのもどうなのかなぁと思うわけです。
断り方も大事
どうしても行きたくない。飲み会は苦痛でしかない。飲み会に行くくらいなら家でダラダラテレビ見てた方がマシって人もいるでしょう。
それはまぁ、そこまで言うなら仕方ない。
だとすればあとは断り方ですよ。
だれも傷つかない断り方。時には嘘も必要です。
・体質的にお酒が飲めなくて
・どうしても外せない用事があって
・今月(経済的に)厳しくて
・子供の体調が悪くて
・家族の体調が悪くて
とかね。
相手に「じゃぁ仕方ないか…」と思わせる事が大事です。
既述の通り「おめーとの飲み会はつまらんからいかねぇよ」ってのはあんまりです。
飲み会はチャンス
断る事に関するマイナス要素ばかり並べてしまいましたが、裏を返せば、飲み会はチャンスが盛り沢山であるとも考えられます。
っていうか、私はチャンスが盛りだくさんだと思います。
チャンスにはいろいろあります。
・コミュニケーション能力上昇のチャンス
・お客さんと仲良くなるチャンス
・同僚と仲良くなるチャンス
・友達と仲良くなるチャンス
・社長に文句を言うチャンス
・爆笑できるチャンス
・昇給のチャンス
・昇進のチャンス
・異性との出会いのチャンス
・異性との急接近のチャンス
下に行くほど下世話な感じになりますが、とりあえずはチャンスです。
「何か楽しいことがあるかもしれない」
私はいつもこのスタンスで飲み会に参加しています。
飲み会に行かなければ、それはそれは普段通りの変化のない夜が過ごせるでしょう。その代わりに何も起きません。
飲み会にいけば、嫌な酒になるかもしれないし、楽しい酒になるかもしれないし、爆笑できることもあるかもしれないし、「フフフ」程度には笑って帰れるかもしれません。
とりあえず「何か」いつもと違う事が起きる。そんな「チャンス」が飲み会にはあります。
ごめんね、ウダウダ理屈並べたけどさ
要は
飲み会楽しいから、皆行こうよ!
ってことを言いたかっただけなんです。
決して飲み会を強要するわけでもなく、参加しない人を叩くわけでもなく、ただただ、「飲み会参加したら楽しいこともあるかもしれないよ」「参加する事のメリットだってちゃんとあるんだよ」ってことを言いたかっただけなんですよ。
「時間の無駄」「金の無駄」と卑屈にならずに、「払った分、費やした時間の元を取るくらい楽しんでやる」くらいの気概で挑めば普段苦手な飲み会もちょっと変わるかもしれません。